【木内前日銀政策委員の経済コラム】 実証分析が示す「強力な感染抑制が経済も救う」

【木内前日銀政策委員の経済コラム】 実証分析が示す「強力な感染抑制が経済も救う」

 欧米諸国では、新型コロナウイルス感染拡大の抑制のためにとられてきた厳しい規制措置を徐々に緩和し、経済活動を再開させる動きが進んでいる。日本でも、5月末までの緊急事態宣言の対象区域から、多くの府県を外すことが検討されている。

 新型コロナウイルス対策では、その感染拡大抑制の効果と経済への悪影響とのバランスが、常に議論されてきた。強い感染拡大抑制策によって人々の生命や健康が損なわれるリスクが軽減されるメリットと、経済に悪影響を及ぼすというデメリットとを比較して、最適な施策を決めることは簡単なことではない。その最適解は、個々の価値観によって異なるためだ。

 経済活動の悪化が飢餓、治安悪化などを通じて死者の大幅増加に繋がるような低所得国では、経済に配慮して緩めの感染抑制措置がとられるケースが見られる。一方、先進国では、感染拡大抑制の効果に重きを置いた政策が相対的には講じられやすいように思われる。

 ただし先進国においては、「強い感染拡大抑制措置は、多少長い目で見れば経済にプラスになる」、という認識が徐々に広がってきたのではないか。この際には、感染拡大抑制の効果と経済への影響とが必ずしもトレードオフの関係にはないことになる。

 以下でその概要を紹介する論文“Pandemics Depress the Economy, Public Health Interventions Do Not; Evidence from the 1918 Flue(パンデミックは経済を悪化させるが、公衆衛生対策はそうではない。1918年スペイン風邪からの証拠),Sergio Correia, Stephan Luck, and Emil Verner, April 10, 2020“ が示す結論の一つがこの点なのである。

 感染拡大抑制策と経済への影響については、世界で数多くの学術論文が出されている。その多くは、理論モデルを用いた分析であるように思うが、上記の論文の特徴は、1918年のスペイン風邪という、100年前に現実に起こった現象に基づいて分析を試みていることだ。

 新型コロナウイルスへの有効な治療薬やワクチンが生み出されるまでは、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)などの感染拡大抑制策については、1918年スペイン風邪当時と変わらない。学校、劇場、教会の閉鎖、集会や葬儀の禁止、店の営業時間制限など、対策は当時と基本的には同じだ。

 スペイン風邪は1918年1月から1920年12月まで、ちょうど2年間続いた。発生地は、米国のカンザス州というのが有力な説となっている。世界では約5億人が感染したとされるが、これは当時の世界の人口の実に3分の1程度である。そして、世界では少なくとも5,000万人、米国では55.0~67.5万人、日本では38.6万人が死亡したとされる。

 現在の新型コロナウイルスと大きく異なるのは、18歳から44歳という若年・壮年層や健康な成人の致死率が高かったことである。

▼低い死亡率と安定した経済の両方を手に入れる

 同論文の分析によれば、スペイン風邪流行時に、感染拡大が広がった地域では、一時的に経済活動が悪化しただけでなく、長い期間に渡って悪化してしまった。他方、早期に、広範囲な感染拡大抑制策を講じた米国の都市では、中期的には経済への悪影響は残らなかったという。早期に、また広範囲に厳しい感染拡大抑制策を講じれば、多少長い目で見ると、低い死亡率と安定した経済の両方をともに手に入れることができるのである。

 スペイン風邪流行時のデータを用いた回帰分析によれば、感染拡大抑制策を10日早めに導入すると、感染収束後に製造業の雇用者数は5%増加する。また、感染拡大防止策を50日長く実施すると、感染収束後に製造業の雇用者数は6.5%増加する、という関係が得られた。

 感染症の専門家の多くは、拙速な経済活動の再開が感染の再拡大を招くことに警鐘を鳴らす。また、多くの経済学者は、感染拡大の抑制が多少長い目で見れば経済の悪化をもたらさない、ということを指摘し始めている。

 ただし各国政府が、こうした考えに沿って経済活動の再開、感染拡大抑制策の出口戦略を進めていくとは限らない。自粛疲れで早期の規制緩和を求める消費者の声や、早期の経済活動再開を求める企業の声も、出口戦略を巡る政府の意思決定に大きな影響を与えるためだ。

 日本での感染拡大抑制策は、中国や欧米各国よりも遅れて始まり、より緩めである、という特徴が指摘できる。その反面、対策の実施期間はより長く、経済活動再開はより遅れやすい、と考えられるだろう。

 そのことはデメリットではあるものの、他国の出口戦略の効果を見極めることができる、というメリットも指摘できる。つまり、他国での拙速な出口戦略が感染拡大の第2波を招くことがないかどうか、その帰趨を確認する時間的猶予が、日本には多少なりとも与えられるのではないか。

■木内 登英(前日銀政策委員、野村総研エグゼクティブ・エコノミスト)
1987年野村総研入社、ドイツ、米国勤務を経て、野村證券経済調査部長兼チーフエコノミスト。2012年日銀政策委員会審議委員。2017年7月現職。

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